Keito is my hero

I love you forever

私のジャニヲタ人生

こんばんは、キョウコです。

 

twitterは文字数に縛られるけど、はてぶは縛られないから」そんな理由でブログを解説したものの、全く更新していなかった私。

 

他のジャニヲタさんに影響され、私も長文が書きたい!と思って、書くことにしました。

 

その名も「私のジャニヲタ人生」

まさに他のジャニヲタさんがこれを書いてたから…私も書いてみることに。全部吐こうと思います。今までtwitterで私色々言ってますが、真実はこちらです。twitterで私…嘘ついたこともあると思うのです。でももう一度言うと、このブログで言うことが本当のことです。

 

私がジャニヲタになった日。正確にはジャニーズに出会った日。それは

2008年3月31日

です。今ではこの日付、死ぬまで忘れない自信はありますが、実際にはこの日より相当後に、そのテレビ番組が放送された日を自分のスマホで調べただけです。2008年3月31日当時、私は小4から小5になる間の春休みでした。

 

当時の私は夕食後に祖母と弟と3人で、19時から始まるテレビ番組を見ることが日課になっていました。月曜日は東京フレンドパークで決まっていたのです。惜しくも東京フレンドパークは2011年をもって終了してしまったので、その後の我が家の月曜日枠はネプリーグと代わられたのですが…東京フレンドパーク、ネプリーグ、ヘキサゴン、IQサプリ…など、今でもそれらの番組が私に影響するものは、私をジャニヲタにしたこと以外にも多いと思います。

 

2008年3月31日月曜日の東京フレンドパークのゲストは

です。2008年4月10日より始まる新番組、社会科ナゾ解明TV ひみつのアラシちゃん!の番宣です。

 

その時は何となく見てたと思うのですけど、私はその5人組に惹かれていきました。何をもって惹かれたのかは覚えていないですが…

 

私と一緒にテレビを見る祖母は厳しい人でした。その当時まで、私が20時半か21時までテレビを見ていると、「早く寝なさい!」というのです。20時半ですよ?8時半ですよ?

 

だから「ドラマ」というのは見たことがなかったです。当日私の家に録画機器がなく、8時半に寝かされる生活の私は9時や10時から始まるドラマは見れなかったんですよね…山田太郎ものがたり花より男子野ブタにプロデュース…私と同世代のジャニヲタなら見ていたであろう作品、一切見ていませんでした。再放送で見たりDVD借りたりして今は知ってますが…何より私、小学校では本当に無口で、勉強が出来ていたこともあって、今やってるドラマの話で盛り上がるなんてこともなかったし、クラスメイトが見ていて盛り上がってたのかもしれないけれど、それなりの賢い子あるあるで、黙ってクラスのうるさい子達を見下す…みたいなところあるじゃないですか。まさにそれです。そんな子供です。

 

嵐にのめり込むと同時くらいに、私は「宿題を出さない」子供になっていきました。中学からは基本的に成績は全体の真ん中くらい。嵐が私の最優先事項になるからです。夕食までに宿題をしていないと祖母も怒りますが、夕食後は祖母も私と一緒にテレビが見たかったのでしょう。それまでの私だと夕食が終わっても宿題が終わっていないと「ごめん、宿題する」だとか次の日に単元テストがあると「ごめん、勉強する」みたいな子だったのに…学校から帰っても嵐のことを考えて…夕食を食べ…テレビを見て…寝る…。そんな私の姿を見た父と祖母は私を中高一貫校に入れることを諦めました。そして「嵐が好きな娘」を受け入れてくれました。

 

20時半に寝る…という規制もどんどん緩くなり、20時から始まるHey!Hey!Hey!やうたばんも見れるようになりました。そこで、今で言う「自担」という概念が芽生えたのです。ドラマ「魔王」(私は見てません) の主題歌truthを披露した回のHey!Hey!Hey!で私は彼が好きになりました

 

大野智

 

私は当時全くもって魔王より前の金髪時代を当時知ってなかったのですよね…黒髪の彼で、ひとり「ぽや…」とした感じで…なにより…私最低ですが「この人、しゃべらないからファン少ないはず。私だけのものだ!」っていう感情が、小5ながらにあって…それで不純だと思いますが好きになりました。まあ、理由は何にしろ、好きでした。

 

しかし小学生時代は…お金をかけることは出来ませんでした。お小遣いって貰ってなかったです。ファンクラブに入ることやコンサートに行くこと。出来ませんでした。中2くらいまでCDもまともに自分で買ってなかったです。というか子供だったからか「ファンになったからファンクラブに入ろう!」とかいう意識がなかったです。

 

でも、私が嵐を好きになったのと同時期に私の父親の年の離れてる妹も嵐が好きになって、その人に嵐の10周年のベストアルバム、僕の見ている風景花より男子FinalのDVD、隠し砦の三悪人のDVD、2008年のARASHI AROUND ASIA in Tokyo、10周年のPV集、5×10のコンサートDVDを焼いてもらいました。また父の友達がtime、Dream “A" Live、5×5 THE BEST SELECTION OF 2002←2004を焼いてくれました。それを家のテープで聴いてました。曲も覚えました。

 

私のヲタク人生に最も大きな影響を与えた人それは中2で出会った友達。Yちゃん。

元々はYちゃんの親友と友達になって、そこからYちゃんを紹介してくれました。

 

Yちゃんと出会うと同時に私に起こった現象それは

 

二宮和也への担降り

 

本当にガチの嵐担には怒られると思います。私が大野担になった理由以上に適当すぎるからです。

 

キョウコ「え!Yちゃん嵐好きなの?誰が好きなの?」

Yちゃん 「大野くん。きょうちゃんは?」

 

え…同担じゃん…別にその頃、同担拒否でもなかったですが、なぜかYちゃんを前にして「私も大野くん」と言えなかったのです。恥ずかしかったのか…同担ということに衝撃が走ったのか…そこで、誰が好きなの?と言われた私はこう答えたのです。

 

「私は、ニノ!」

 

このことはYちゃんも知らない事実です。Yちゃんにとって私は「中2で出会った二宮担の親友。今は圭人くんが好きな親友。」なのです。Yちゃん親友なのに隠し事しててすみません。

 

Yちゃんは私にとって初めての「ヲタ友」なのです。高校は別々になったけど、嵐のフラゲ日は集合して2人で買いに行ったりしました。

 

私にとってYちゃんの前で二宮担として生きることは辛くなかったし、これを機にニノの魅力にたくさん気づけたし、完全なる二宮担にもなっていました。Yちゃんもファンクラブに入ってなかったので私も入らなかったです。(理由おかしい) シングル、アルバム、DVDを買って、聴いて、見て、テレビをチェックするだけ…「会いたい」という思いもあったはずですが…そうして生きていることに不自由がなかったのです…かね?今現在JUMPの現場は入っていますが、嵐の参戦歴はないです。YちゃんはYちゃんの高校の友達(ガチヲタ)とTHE  DIGITALIANに参戦して、私にグッズを買ってきてくれました。私自身高校はYちゃんと離れて女子高に入って、ガンガン積みまくって名義増やしまくってるジャニヲタをまじかで見ているのに…祖母に「ファンクラブに入りたい」と言っても「ダメ」と言われる始末で、本当に…お年玉で嵐の過去作品を買うんじゃなくて、祖母に隠れてファンクラブに入ればよかった。お年玉でQUOカードを手に入れるためにポッキーを爆買いするんじゃなくて、遠征すればよかった。今ではそう思ってます。

 

一緒にテレビを見て、嵐のDVDを見た、厳しくも優しかった祖母が、高校2年の春に癌で亡くなりました。また私は大学受験のために予備校に通い始めたことで、高校も違って早々と進路を決めたYちゃんとはなかなか会えなくなってフラゲも一緒に出来なくなってきて…キーパーソン2人の存在が遠くなったことで (現在Yちゃんは広島の短大に通ってて年に何回かしか会えないけど、今年春から岡山に就職するみたいだから会えるぞっ!)、嵐は好きでしたが、嵐に一途じゃなくなってきました。事務所担みたいになってしまって…祖母といる時は本当に決められたルーティーンの中で生活していて…嵐以外を見よう!とならなかったんですよねぇ…(ちなみに、私が初めてドラマを見たのは「流星の絆」からです。それからは9時からも10時からもバッチ来い!スマイル、ザ・クイズショウ、バッチ来い!ひみつの嵐ちゃん嵐にしやがれ、バッチ来い!ただ、宿題くんとか、深夜だったうたのおにいさんやマイガールは見れてないっす…そして我が家に録画機器が取り付けられたのは、私が中3…くらいです)

 

スマホは高校生の時持ってなくて、ガラケーしか持ってなくて、家のパソコンでネットYouTubeを見る!みたいなのが当時の私にとっての「ヲタ活」でした。ガラケーでジャニーズwebの有料会員ではありましたが…twitterやってれば違ったんでしょうけどね…

 

最初に手をつけたのはKinKi KidsYouTubeにのってる堂本兄弟はほぼ全部見ました。面白いftrに心奪われ、CD借りたり買ったりしてA~Mまでウォークマンに入れました。Φも入れました。シングルも数枚…次にV6。坂長大好きになってしまいました。こちらは20周年のアルバム初回盤Aを購入し、10周年のアルバムを借りただけですが…よってSky's The Limitまでのシングル曲はカラオケで歌えます…好きな曲はWay of Lifeです…(皆さんそろそろ思ってると思います。お前はいつJUMPにハマるんだよ)

 

2015年、夏 

私は高校3年生

24時間テレビのパーソナリティはV6とHey!Say!JUMP。 V6!やったー!! Hey!Say!JUMP?え?

 

嵐、KinKi、V6。私が高校の時には既に30代のジャニーズ。10代20代のジャニーズは全然興味なかったんですよね…今でもですが、私おじさん好きなんです! 羽生結弦より断然葛西紀明だし、佐々木蔵之介のファン歴は長いし…

 

24時間テレビの番宣でHey!Say!JUMPが嵐にしやがれに来た時も、「大野くんが好きな知念くんはいないんだぁ…」くらいの勢いでした。冒頭、「Sorry, Jun」って言ってる青年に、微量に心奪われましたが…(微量) その衝撃は忘れることが出来ません。

 

なぜ微量かと言うと、受験生だったからですね。テレビやYouTube、実際少し見てたけど、それも罪悪感に苛まれて見ていて、そうは言っても国公立大学を狙っていた私は基本的に月から土まで予備校で夜10時まで勉強してたので、どのグループもガッツリヲタ出来なかったんですよね…そんな状態で素敵な人に出会っても「いかんいかん、勉強しなきゃ」としか思えなくて…

 

センター試験で大失敗をして、そっから勉強をやめました。第1志望は行けないことになったので、とりあえず学校の方針で進学しようがしまいが国公立大学を受けないといけなかったけど、それに向けての勉強はしていませんでした。センター試験が終わると用事がある時しか学校に行かなくても良くなるから、弟は学校で親は仕事で、家で一人になることが多くて、すると家のパソコンでYouTubeばっかり見てしまうんですよね…

 

やはり、夏に感じた衝撃からか、いつもは「嵐」「V6」「KinKi Kids」のどれかを検索して動画を見ていたのに、その検索リストに新たに「Hey!Say!JUMP」が加わることになりました。夏に私の心を奪った岡本圭人くん!好き。惚れた。私自身英語が大好きで、帰国子女とか憧れで…どんどん彼の沼に落ちていきました。進学する大学も決まったらもう岡本圭人一直線。叔父に「JUMPing Car」を買ってもらいました。

 

大学に進学し、スマホを買ってもらい、自分が通っていた予備校でバイトを始めてからが、私の真のジャニヲタ生活STARTとなりました。バイト代で嵐とHey!Say!JUMPのファンクラブに入りました。(JUMPだけにしようかなと思ったけど、ここまでの恩もあって嵐を捨てられなくて…けど、嵐は更新してなくて、現在JUMPのみです)

 

スマホになったので、twitterを始めて全国様々な年齢のジャニヲタさんと出会いました。お会いした方もわりといます。会いたい方もいっぱいいます。他のジャニヲタさんから受ける影響も多くて、新規の私は結構それで情報を得たりしています。 

 

 

最後に私が思う圭人くんの魅力を語って終わりたいと思います。私にとって、圭人くんの魅力、尊敬出来るところはたくさんあるけど、大きくいえば2つです。1つは帰国子女で英語が喋れて、海外の文化に精通しているところ。英文科で、英語演劇部で、春から米国演劇を研究するゼミに入る私の英語を勉強するモチベーションを上げてくれるのですよ!私の中で、彼のようになりたい!という思いが大きすぎて…うちの大学の英語演劇部なんてハードな部活自分から願って入ってるのも、圭人くんのようになりたいから。堂々と英語を話す姿に憧れがあるから。

2つ目は、本当に自他に優しいところ。他に優しいってのは皆さんお分かりだと思います。圭人くんを思いだして、「ダメ、悪口言っちゃダメ。」なんての日常茶飯事ですが、彼が「自分も大切にできること」が本当に素敵なのです。地球上に自分と親友2人だけが生きているとする。両方とも飢えていて、自分がパンを1個だけ持っているとする。「私のことなんてどうでもいいから、このパン食べて!」というのが優しさなのか?そのパンを食べた親友は生き延びたとしても、パンを渡した自分は飢えて死んでしまう。そして、親友は孤独に生きていかなくては行けない。圭人くんの優しさって、そういう時にパンを半分こして半分友達にあげる優しさなのです。安易に自分のことなんてどうでもいい!って思っていた私を変えてくれました。ちゃんと自分と他人を愛さないといけない。私にとっての彼の魅力はそこにあります。ヲタ活のために健康でいよう…くらいしか心がけていないですが…自分を愛すること…私の目標です。

 

 

 

長くなりましたが、読んでいただいた方いればありがとうございます。

 

Twitter → @kotriebsnanally